京都亀岡にて脈々と継承される伝説の阿弥陀如来像

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「与市 The Musical」
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PHOTOGRAPHY
史・由緒
YOICHIDO HISTORY
在地
ACCESS MAP

〒621-0854

京都府亀岡市下矢田町東法楽寺 那須与一堂

(ファミリーマート 亀岡下矢田店前)

那須与一ゆかりの地
与一堂STORY

寿永3年(1184)、源平の合戦の一ノ谷の戦いに向かう源義経軍に従軍していた那須与一宗高が、山城と丹波の境あたりで急に原因不明の病になり身体が動けなくなりました。

たまたま法楽寺の阿弥陀如来の噂を聞き、お参りしたところ、たちまち平癒し、その御利益から阿弥陀如来を深く信仰しました。その後、阿弥陀如来の霊符を身につけて出陣すると毎戦軍功をあげ、中でも屋島の戦いでの扇の的を射抜く武功を挙げたことはあまりにも有名です。

そして、その後、武士を捨て法然の弟子となり、法楽寺を再興したといわれています。

亀岡市下矢田町の那須与一(市)堂は、源平の合戦で活躍した武将 那須与一ゆかりの地として、宗派に属さず、無住ながらも地域の人々に親しまれてきたお堂です。


【創建】986年〜1011年ごろ(一条天皇在位)
【本尊】 阿弥陀如来坐像(伝恵心僧都)

 

>>>詳細

 
 
焼失~現代の那須の与一堂へ
地域の人々によって300年守られてきた御堂と焼け仏・阿弥陀如来坐像

社伝によりますと、江戸時代の享保元年(1716)に火災になり焼失。そこへ住民たちが駆けつけたところ、焼け落ちたお堂に、まばゆい金色に輝く阿弥
陀如来像が立っていたと伝わります。


その後、阿弥陀如来像は一旦近くの寺院に預けられていましたが、明治26年(1893)に地元の人々の手によって現在の場所に安置され、那須与一の伝承から『那須与一堂』と名付けられ、地域の高齢者の人々を中心に代々その信仰が受け継がれ現代に至ります。